生きづらさ解放プレゼンター成瀬敦史<公式サイト>

凸凹さん子育てママをサポートし、発達障害をモデルに誰もが自分らしく生きられる社会を創る講演家・コーチ「生きづらさ解放プレゼンター」。発達障害・高次脳機能障害の当事者です。発達障害者の就労支援スタッフ等も務めています。facebook、noteブログ、YouTubeでも生きやすさを掴むヒントを発信中です。

こんなことしてもらえるヒトに生まれ変われたんだなぁ……とカンムリョー(泣)

calendar

reload

先日は僕の誕生日だったんですけど、
もービックラこきましてね(笑)

就労移行支援事業所のスタッフの皆さんからサプライズを頂いたんですよ☆

誕生日当日に世間話で「今日、僕、誕生日なんすよねー♪」って一言いっただけですよ。
なのに、午後終盤の会議でいきなりプロジェクターのスクリーンにメッセージが!

そして、ケーキとメッセージが。
貴重な昼休みの時間に買いに行ってくれたんでしょーねぇ(。・・。)

なかなか泣かない僕が、仕事中にあやうく涙腺ホーカイしそうになりました。

*******

さぁコレを読んで、

「そんなシーン、よく見るよねー。フツーだよーねー。ブログにアップするようなことなの?」って思った方、いるでしょ?

あなたは正しい(笑)

コレ、「イケてる人」達にとっては、確かにフツーの光景だと思います。
でも、つい4~5年前までの僕には「憧れ」でしかなく、「自分には縁の無い」風景だと思ってたんですよ(^_-)-☆

なにせ、高次脳機能障害の性格変容による、過剰シビアでエゴ丸出しの嫌われ者でしたからね(^_^;)
ほんともう、自分で言うのもなんですが、今の「おだやかで温かい」キャラと大違い(汗笑)

*******

2階の開頭手術を行った交通事故の後遺症で脳が萎縮。
その影響で得手不得手の差が激しくなり……。

僕の前職は地方公務員。
市役所の仕事って、様々な分野にわたる仕事のデパート状態なんですね。
そんでもって、人事異動でコロコロ変わる担当業務の内容によって、出来不出来に激しい波が出ちゃったわけですけど……。

悪い時には上司や同僚や組織のせいにする。
良い時は増長して他人を見下ろしまくる。
僕は、そうやって16年間を生きてきたんですね。
「16年」ってのは、事故に遭ってから障害の存在を知るまでの間ね。

二次障害のうつ病や強迫性障害とか、前の奥さんとの不仲もあって、当たり散らすように周囲にシビアに接して、一方的な正義を押し付けて来ました。

16年間を迷走しまくって、コミュニケーションの当て逃げ事故を繰り返してきたわけです。
公衆の面前で人様をぶった切ること、多数。上司も同僚も見境なしですわ。

自分の得意な部所で大きな実績を上げられてるときなんかひどかったですよー。

「僕たちのお給料はどこから出てるか知ってます?
市民の皆さんからの尊い税金ですよね。
その程度の仕事しかしない貴方に、それがわかってるとは思えない。」……なんていってましたからね(超滝汗)

「同期と比べてなぜ僕だけ出世しないのか!?」と上司に詰め寄ったことがありました。
どんだけタカビシャやねん……って感じでしょ?

「職員表彰の候補に自分をあげろ!」と、自作の申告書を書いて提出したこともありました。
当然ダメでしたけどね(笑)
もぉイタいったらありゃしない。

ちょっと思いついただけでもこの有様です。昔の僕、まぁまぁエグイでしょ?
人生の汚点、黒歴史ってやつです。
今では、そんな自分のこともねぎらってあげられるようになりましたけどね(^^)

そんなことしてたから、人は離れていくに決まってましたね。

いっしょに飲みに行く人もほぼおらず、ひとり飲みを繰り返してました。
そっからアルコール依存につながりましたね。
枕元に7リットルの業務用ウイスキーを置いてね。
今、おかげさまで2日に1回ビール1本程度で楽しく満足できてますけど(^^)
でも、当時は酒が切れるとイライラしたり、手が震えてたんですよ(笑)

2歳の息子が生まれた当時、
職場で有志からもらえるはずの出産祝いが、僕だけもらえなかったりねー(^_^;)
まぁ、当たり前ですよね(笑)
「再婚相手との子どもには出産祝いを出せないってか!?どんだけ頭カタいねん!」と怒ったもんですが、
当時の僕みたいなヤツには、たとえ義理でも、誰も払わんかったでしょーね。

ライフワークのギターではリーダーバンドをやってましたが、メンバーの「成瀬にキレて辞める」が繰り返され、メンバーが固定しない(笑)
看板は「民主的に、メンバーの総意を結集するバンド」って触れ込みを出してたんですが、今思えば、メンバーをめちゃくちゃコントロールしてましたね。

*******

そんな僕でしたが、腕利き理学療法士にして「宇宙人」の妻さとみんが気づいてくれたおかげで高次脳機能障害とわかったわけです。
お医者さんからADHDと診断されたのも納得がいきました。

そっから、彼女の指導・サポートのもと、苦しくて辛い脳リハビリとコミュニケーション訓練をやって、41歳から脳機能を回復させたわけです。
栄養や食べ物、生活習慣といった身体づくりもやりました。

そして、とにかくいろいろ勉強しまくって、自分の心と身体で「人体実験」していったわけです。

オーソドックスな各種の心理学、NLP心理学、スポーツ心理学、カラーセラピー、フットサル(リハビリ)、原始反射の統合セッション、クラニオ・セイクラル(頭蓋仙骨療法)、アレクサンダー・テクニーク。

果ては、九星気学、四柱推命、ホロスコープ、アクセスバーズ(R)、エネルギーワーク、チャクラのコントロール、過去世リーディングに至るまで……。

なかでも、生き方を変えたのは大きかった。
「今、そしてこれからの幸せな生き方」である岡田哲也さんの「で、ほんとはどうしたいの?」を「地味に、地道に」あきらめずコツコツと実践していきました。

Amazon】で、ほんとはどうしたいの?(岡田哲也)

心身調律セラピスト岡田哲也ブログ

Happyちゃんや心屋仁之助さんも学んで実践したなぁ。

「まず自分」を意識し、大切に扱うことが周囲も含めて幸せにしてくれる。
この生き方が僕の基本となっていきました。

*******

そんなわけで、僕もこんなふうに「他者と共に生きていく人生」を手に入れたわけでありましたー(^^)
発達障害・高次脳機能障害だって幸せになれました!

ただ、僕の場合、アレコレ試しすぎて、そうなれるまでが余りにシンドかった(-_- )
なにせ、一度「うっかり自殺未遂」やっちゃったくらいだからWw

深夜の赤信号交差点にうっかり飛び込んじゃって(滝汗)
「なにしとんねん、こいつ!」ってドライバーから怒号が飛んできて。
目の前が交番だったんで、なんかおまわりさんがバタバタw
走って逃げてセーフでした😅

なので、できるだけ無駄や負担なく人生を変えていける、僕が身をもって掴み、整理したやり方を、セミナーやカウンセリングでシェアしていきます
発達障害者や高次脳機能障害者と過ごす家族や職場の方の気持ちが楽になるように……(^_-)-☆

ケーキが格別に美味しく感じられた、「生きる悦び」を満喫できた日でした(≧∀≦)
ありがとう、みなさん!

この記事をシェアする

コメント

コメントはありません。

down コメントを残す




このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

folder ●自分らしく生きる5ステップ

発達障害は「改善」します☆なぜなら……♪
more...

folder ●【終了】家族・支援者自助会(ペガサスムーン)

《最終回のご挨拶》+【第19回9/15雑感:テーマ「不安」】家族・支援者会ペガサスムーン
more...